日本繊維産業連盟の自主規制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 17:49 UTC 版)
「日米繊維交渉」の記事における「日本繊維産業連盟の自主規制」の解説
1971年2月22日、ミルズ委員長は「政府間で合意できないならば、業界単体での一方的自主規制に反対しない」と提案し、自主規制の具体的骨子にまで言及。この提案を基に、日本繊維産業連盟は3月8日、自主規制案を発表し、日本政府はこの自主規制をもって政府間交渉を打ち切る。しかし、ニクソン大統領は同11日に日本側の宣言に不満を表明(「ジャップの裏切り」と口走ったとも言われる)。自主規制案の内容は受け入れがたく、更に政府間交渉は日本が打ち切ったため行えないので、議会での通商法案の成立を強く支持するとの声明を出した。
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