日本紙相撲協会と紙相撲ブーム
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「紙相撲」の記事における「日本紙相撲協会と紙相撲ブーム」の解説
1954年、当時17歳の徳川義幸は、紙相撲に使う力士人形の右手部分を高く、左手部分を低くし、足の部分を前に倒れるように作ったものを2つ、あらかじめ互いに支え合うような形で置いて行う紙相撲の方法を考案した。この形で紙相撲を行うと、相撲で言う左四つの体勢になり、変化に富んだ動きをするようになった。徳川は友人らとこの方式の紙相撲力士を制作し合い、おのおのを相撲部屋に見立て、大相撲同様に場所を行い、成績により番付を変化させる遊びを始めた。これは長らく徳川らの仲間内で行なわれるものであったが、1975年、週刊誌で取り上げられたのをきっかけに、多くのメディアで取り上げられるようになった。当時の横綱照の花の取組はNHKテレビなどで数度生中継され、小学生を中心として多数の紙相撲愛好者を生んだ。ブームは数年で下火になったが、当時紙相撲をはじめた愛好者たちが今なお協会を運営している。2022年の第155回場所現在の横綱は若ノ嶋・美空富士・春ノ翔、大関は千代鈴・佐賀ノ海となっている。
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