日本天台宗の開宗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 06:10 UTC 版)
中国天台宗は6世紀に隋の智顗が開いた宗派であり、のちに日本に伝来した南都仏教よりも歴史が古い。最澄は自身が受け継いだ教えについて『内証仏法相承血脈譜』に、達磨大師付法・天台法華宗・天台円教菩薩戒・胎蔵金剛界両曼荼羅・雑曼荼羅の5つを挙げている。5つの教えのうち天台法華宗のみに「宗」が付いている事について、伊吹敦は「受け継いだ思想的伝統を血脈と称し、それらを統合して新たに樹立した自らの思想的立場を宗と呼んだ」としたうえで、「中国天台宗とは異なる日本独自の天台宗が成立した」と評価している。 また新川哲雄は南都六宗における宗派を「経典や論書の理解に関する枢要な教義及びそれを学ぶ「学派」を意味する」としたうえで、最澄の開宗によって「ある立場の教義を同じく尊崇する人々の一団を「宗」とし、さらにその一宗団の中で教義をめぐる解釈の違いなどから立場を異にする分派が生じた時に「派」とみる新しい宗派意識の原型が生まれた」と評価している。
※この「日本天台宗の開宗」の解説は、「最澄」の解説の一部です。
「日本天台宗の開宗」を含む「最澄」の記事については、「最澄」の概要を参照ください。
- 日本天台宗の開宗のページへのリンク