日本公使館員の脱出とは? わかりやすく解説

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日本公使館員の脱出

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 00:29 UTC 版)

壬午軍乱」の記事における「日本公使館員の脱出」の解説

漢城日本公使館駐留武官だった水野大尉報告などによると、暴徒包囲され公使館員たちの脱出行は以下のとおりである。 朝鮮政府から旧軍反乱連絡受けた日本公使館は乱から逃れてくる在留日本人保護与えながら、自衛呼びかける朝鮮政府に対して公使館護衛強く要請した。しかし混乱する朝鮮政府公使館護衛する余裕はなく、暴徒襲撃受けた日本公使館やむを得ず自ら応戦することになった蜂起当日はなんとか自衛しのいだ公使館一行だったが、暴徒による放火によって避難余儀なくされた。朝鮮政府護衛の兵を差し向けてくる気配はなく、また公使館を囲む暴徒も数を増しつつあったので、弁理公使花房義質公使館放棄決断避難先を京畿観察使営と定め花房公使以下28名は夜間公使館脱出した負傷者出しながらも無事に京畿観察使陣営に至ることに成功したが、陣営内はすでに暴徒によって占領されており、京畿観察使金輔鉉はすでに殺害されていた。公使館一行次いで王宮向かおうとするが南大門固く閉じられていて開かなかった。王宮守備隊長は彼らに退去命じたという。 花房らはついに漢城脱出決意し漢江渡って仁川府保護求めた仁川府使は快く彼らを保護したが、夜半過ぎ公使一行休憩所襲撃され一行のうち5名が殺害された。襲撃した暴徒中には仁川府兵士混ざっており、公使一行仁川府脱出暴徒追撃を受け多数死傷者出しながら済物浦から小舟漁船)で脱出したその後海上漂流しているところをイギリス測量船フライングフィッシュ号保護され7月29日長崎へと帰還することができた。

※この「日本公使館員の脱出」の解説は、「壬午軍乱」の解説の一部です。
「日本公使館員の脱出」を含む「壬午軍乱」の記事については、「壬午軍乱」の概要を参照ください。

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