日本人最後の50本塁打
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 09:45 UTC 版)
オールスターゲーム前までは、前年同様打球が上がらず76試合で18本塁打だったが、後半戦は64試合で32本塁打という驚異のペースで打ち続け、自己最多を更新する、史上8人目の50本塁打を記録する(平成時代の日本人唯一)。 セ・リーグでは1985年のランディ・バース以来17年ぶり、日本人では1986年の落合博満以来16年ぶり、巨人では同じく1977年の王貞治以来の25年ぶりの快挙となり、この年の松井を最後に日本プロ野球で日本人選手による50本塁打達成者は出ていない。ペタジーニに9本差をつけた50本目の本塁打は2002年の本拠地最終戦の対ヤクルト戦(東京ドーム)で記録。 7・8月と2か月連続で月間MVPを受賞。9月7日の広島戦でプロ野球新記録となる5年連続100得点を記録した。 シーズン終盤までは打率3割5分台を維持し、三冠王目前だったが、シーズン終盤に調子を落とし、首位打者争いで福留孝介にタイトルを譲った。 打率、本塁打、出塁率では自己最高の成績で、本塁打王、打点王、最高出塁率、シーズンMVPを獲得した。 なお、巨人では2002年以降、2020年に岡本和真が本塁打王になるまでの18年間にわたって、日本人選手で本塁打王を獲得する選手は現れなかった。また、巨人の日本人左打者の40本塁打以上の選手及び打点王は2010年に阿部慎之助が44本塁打を記録、2012年に打点王を獲得するまで現れなかった。
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