日本人柔道家との対戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/28 07:19 UTC 版)
「エリオ・グレイシー」の記事における「日本人柔道家との対戦」の解説
1951年9月6日にブラジル・リオデジャネイロで加藤幸夫とブラジリアン柔術ルールで対戦し、10分3ラウンド引き分け。9月23日に再戦し8分目で加藤を絞め落としエリオの一本勝ち。 1951年10月23日にブラジル・リオデジャネイロのマラカナン・スタジアム(観衆はブラジル大統領を含む3万人)で木村政彦と対戦(10分3ラウンド)。2R開始3分で大外刈からのキムラロック(本来の名称は柔道の腕がらみ。木村が掛けた技であるため、後にこう呼ばれる)で腕を取られ、エリオは意識がなくなっていた(一説に骨折したと言われている)ため兄のカーロスがタオルを投入し敗北した。この試合については作家増田俊也の『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』が綿密な取材と調査で最も詳細に書いているが、それによると、試合後は互いが互いの強さを讃え合った素晴らしい試合だったという。 他にも、矢野武雄、冨川富興、小野安一(2度対戦し2引き分け)らと対戦したが、木村以外に対しては不敗であった。
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