日本へとの関わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 16:19 UTC 版)
2004年から国会議員として活動。2011年5月24日、ロシアが実効支配している日本固有の領土である北方領土の一つである国後島を、日本の許可を得ずに訪問し、日本から抗議をうけると「日本側の一方的な論理」としてロシアの実効支配を改めて支持を行った。日本の教科書や防衛白書に竹島の領土問題が記載されていることに強硬な姿勢を示してきたが、「親日派」の子孫を糾弾する運動に加え、日本の右翼をリストアップして入国を禁止するべきとの意見を表明するなどの主張もしている。特に「親日派破墓法(親日派に分類された人物の墓を国立墓地から移葬する法律)」について「わが民族には鬼神信仰がある」とした上で「国立墓地に恩讐(おんしゅう)がいるのに、有功者、愛国先烈志士たちがあの世に行って安らかにいられるのか」と主張している。
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