日本における直通運転の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 14:48 UTC 版)
「直通運転」の記事における「日本における直通運転の歴史」の解説
直通運転の歴史は明治時代に遡る。1950年代以前にも奈良電気鉄道(→近鉄京都線)と近畿日本鉄道奈良線・橿原線、および奈良電と京阪神急行電鉄京阪線(→京阪電気鉄道)などの異事業者での直通運転はあったが、本格的に異事業者間で直通運転開始をしたのは高度経済成長期全盛の1960年代に入ってからである。 民鉄と地下鉄との相互乗り入れ黎明期は営団日比谷線のように各駅停車による直通運転を原則としていた。地下鉄に民鉄の優等列車が定期列車で初めて乗り入れたのは京成電鉄が1964年10月1日ダイヤ改正で都営地下鉄浅草線に通勤準急(現在廃止)を乗り入れさせたのが最初である。 なお、かつては同一会社の路線が別会社に分割されて新たに直通運転となった例や、これとは逆に、かつては別会社同士の直通運転だったものが、同一会社の路線となり直通運転でなくなった例も存在する。この他にも、一旦は直通運転を廃止したものの、運営形態の変更により営業上および書類上は再び直通運転となった例もあり また、車両の譲渡などの理由により、それまで片乗り入れだったものが相互乗り入れに変更された例もある。
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