新国劇と剣劇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 09:27 UTC 版)
そして坪内逍遥の門下生で新劇出身であった澤田正二郎が1917年(大正6年)に劇団「新国劇」を結成し、歌舞伎から導入した「剣劇」を発展させて、旧派でも新派でも新劇でもない大衆演劇を目指し人気を博した。新国劇の主な演目である『月形半平太』と『国定忠治』は、好まれて映画化された。 このようにして、現在の「時代劇」と「現代劇」の二分法は、江戸時代の「時代物」と「世話物」を源流にもち、明治時代に演劇の発展とともに「旧劇」「新劇」とされ、大正時代に活動写真から「時代劇」「現代劇」と呼ばれたもので、このジャンルは、「明治維新以前の時代」を扱ったものである。ただしこの「時代劇」という呼び方は映画が発祥であり、そもそも多くの影響を受けていた歌舞伎では使われていない。そして新国劇や大衆演劇の世界でも芝居やチャンバラ劇という言葉が使われており、「時代劇」の歴史は主に映画とテレビの中で歩んだことになる。
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