新博物館の設計コンペ
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「アクロポリス博物館」の記事における「新博物館の設計コンペ」の解説
最初の建築設計競技(コンペ)は1976年に開催されたが、参加資格がギリシャ人のみに制限されていた。1976年と1979年のコンペでは、建設予定地に合った設計案が出ず、失敗に終わった。 1989年、3度目のコンペは国際的に開催されることが発表された。建設予定地は3カ所から選択可能だった。このコンペではイタリアの設計チーム(NicolettiとPassarelli)が勝利した。この3度目の設計案に基づいて1990年代に慎重に予定地の発掘調査を行ったところ、考古学的に非常に貴重な遺構が見つかり、1999年にこのコンペの結果は無効となった。新博物館の建設予定地はやや簡単に決定された。それは、ディオニューソス劇場の向かいにあった Camp Makrygianni という既に使われていない憲兵隊兵舎の大きな区画である。兵舎の敷地は公有地で、周辺の少数の個人宅だけ買収すればよいという利点があった。兵舎のメインの建物は新古典主義の Weiler Building で、そのまま改修されて、Museum of the Center for the Acropolis Studies が入居する建物として新博物館に組み込まれることになった。 4回目のコンペでは、建設予定地から遺跡が見つかった場合の対策を何も立てなかった。このミスは国際記念物遺跡会議 (ICOMOS) などでも指摘されてから初めて最小限の対策がとられ、コンペが開催されることになった。対策とは、建物全体を柱で支えて接地面積を最小限にするというものだった。コンペは建築経験者を指名する形で行われ、建築家ベルナール・チュミとギリシャの Michael Photiadis のチームが勝利した。
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