斯波氏の祖
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 13:45 UTC 版)
家氏の母・正室の血筋、また経歴・幕府内の地位などから、その子孫は「足利の名字を称する別家」として足利一門諸家の中でも特に本家に並ぶ家格意識を持ち続けた。家氏は陸奥国斯波郡(紫波郡、しわぐん)を領し(家氏が実際に斯波郡高水寺城に在城したという伝承もある)、さらに後世には家氏の嫡系子孫が斯波氏と称されて室町幕府の守護大名や管領家の一角として重んじられたために、家氏も斯波家氏と呼ばれることが多いが、家氏自身は生涯にわたって足利姓を通し続けた。室町時代初期の子孫である高経・義将親子の頃までは足利を名乗り尾張守に任官したことから、自他ともに足利尾張守と呼ばれたが、のちには足利本家が足利将軍家になるに及んで足利尾張家を足利姓で表記されることは減少していくこととなった。
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