斉藤浩哉とは? わかりやすく解説

斉藤浩哉

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/28 23:34 UTC 版)

斉藤浩哉

現役時代の斉藤浩哉
基本情報
誕生日 (1970-09-01) 1970年9月1日(54歳)
出身地 日本
北海道余市郡余市町
選手情報
クラブ 雪印
ワールドカップ
シーズン 1991年-2002年
優勝回数 2回
他の表彰台 14回
表彰台獲得数 16回
獲得メダル
日本
男子 スキージャンプ
オリンピック
1998 長野 ラージヒル 団体
ノルディックスキー世界選手権
1995 サンダーベイ ノーマルヒル 個人
1997 トロンハイム ラージヒル 団体
1995 サンダーベイ ラージヒル 団体
最終更新日:
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斉藤 浩哉(さいとう ひろや、1970年9月1日 - )は、雪印乳業所属のスキージャンプ選手で、2003年に引退し現在は指導者。北海道余市郡余市町の出身。同学年に岡部孝信がいる。

プロフィール

スキージャンプの盛んな余市町にあって10歳のときにジャンプを始めた[1]。余市町立沢町小学校、余市町立西中学校、余市高校を経て1989年4月に雪印乳業に入社。

現役時代は「教科書」とも評された基本に忠実な、安定したジャンプスタイルで、1997年-1998年シーズンには3度あった日本のW杯表彰台独占において唯一3度全てで表彰台に上がり(1月1日・ガルミッシュ=パルテンキルヒェン:1位船木、2位原田3位斉藤。1月11日・ラムソー:1位原田、2位船木、3位斉藤。3月1日・ヴィケルスン:1位岡部2位斉藤、3位葛西)、長野五輪では団体戦の2番手として1回目130m、2回目124mと非常に堅実なジャンプで実力を見せつけ、団体の全選手で4番目の合計得点を挙げて日本の金メダル獲得に大きく貢献した。しかし長野五輪後は度重なるケガに泣かされた。1998年7月に右膝の前十字靭帯、1999年6月には左膝の膝蓋腱英語版(しつがいけん)3カ所を断裂したがそのたびに復活した。

2003年3月に現役引退[2]雪印乳業のコーチに就任、2006年4月より同監督に就任。 2014年春に監督を退き、現在は社業に携わっている。

主な競技成績

冬季オリンピック

ノルディックスキー世界選手権

スキージャンプ・ワールドカップ

  • FISワールドカップ通算2勝 (2位4回3位10回)
  • 初出場 1991年12月14日 日本・札幌
  • シーズン個人総合最高成績 - 5位が最高位 (1996/97シーズン、1997/98シーズンの2回)
優勝
シーズン 開催日 開催地 種目 成績
1995–96 1995年12月17日 シャモニー ノーマルヒル 優勝(1)
1996–97 1997年2月2日 ヴィリンゲン ラージヒル 優勝(2)

日本国内での主な競技成績

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