文学作品による推定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 00:55 UTC 版)
11世紀に『平中物語』の一節を引いて能因が遠江国(静岡県西部)に所在すると考えた『能因歌枕』の説のほか、17世紀に西山宗因が紀行文『宗因奥州紀行巻』のなかで「なこその関を越て」磐城平藩領に入っていると記していることなどから、現在の福島県いわき市に長らく比定されている。吉田松陰の『東北遊日記抄』にも現いわき市勿来町関田字関山付近を「勿来故関」と記録されている。ただし、「なこそ」の地名がこの周辺に存在した証はない。 福島県いわき市勿来町に所在したと考えられている菊多関の別名とする説もあるが、最近では区別されている。 歌枕であるなこその関は多くの歌人に詠まれているが、それらの歌からは陸奥国(東北地方の太平洋沿岸部)の海に程近い山の上の情景がイメージされる。しかし、一般に近代写実主義に拘束されていない近代以前の和歌においては、歌枕を詠むにあたってその地に臨む必要はない。なこその関を詠んだ歌についてもその多くは現地で詠んだ歌とは考えられていない。 なお、平安海進により、古代の海岸線の位置は現在と異なる。
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