文学作品のなかの弘道館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:35 UTC 版)
森鷗外『伊沢蘭軒』「花亭の語は詳(つまびらか)でなかつた。由緒書に徴するに、『文政二卯四月十七日五人扶持被下置、折々弘道館へ出席致世話候様』と云つてある。」 正岡子規『墨汁一滴』「その時の有様をいへば、不折氏は先づ四、五枚の下画を示されたるを見るに水戸弘道館等の画にて二寸位の小き物なれど筆力勁健にして凡ならざる所あり」 島崎藤村『夜明け前・第一部上』「御三家の一つと言われるほどの親藩でありながら、大義名分を明らかにした点で。『常陸帯(ひたちおび)』を書き『回天詩史(かいてんしし)』を書いた藤田東湖はこの水戸をささえる主要な人物の一人(ひとり)として、少年時代の半蔵の目にも映じたのである。」 島崎藤村『夜明け前・第一部下』「しかし、慶喜も水戸の御隠居の子である。弘道館の碑に尊王の志をのこした烈公の血はこの人の内にも流れていた。」
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