教皇としての活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/16 07:17 UTC 版)
「シクストゥス5世 (ローマ教皇)」の記事における「教皇としての活躍」の解説
シクストゥス5世は枢機卿時代から学問への関心が強く、アンブロジウスの著作の校訂版を完成させている。彼は学問の世界においてありがちな他者への批判や攻撃を嫌い、常に穏健な態度を保っていたことが、教皇選挙で彼が選ばれる1つの理由となった。選挙において、シクストゥス5世が自分の老いを盛んに演技して票を勝ち取ったというのは後世の作り話である。むしろ選挙においては、彼の若々しさが評価されている。教皇が若いということはそのまま在位が長くなるということを意味するのである(ちなみに教皇の即位式には、ローマ滞在中であった天正遣欧使節のメンバーたちも招かれて参加している)。 グレゴリウス13世の時代、教皇領の状態は最悪のものとなっていたため、シクストゥス5世はさっそくこの状態の解消を求められた。無法状態となっていた教皇領の治安を立て直すべく、教皇は治安を乱す者に対して厳しい態度を示した。それしか状況を改善することができなかったともいえよう。多くの盗賊や山賊が捕らえられ、法の裁きを受けた。ほどなく教皇領に治安と平和が戻った。
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