故障続きの挫折・復活ならず
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 03:03 UTC 版)
「坂本直子 (陸上選手)」の記事における「故障続きの挫折・復活ならず」の解説
アテネ五輪後は2005年11月の淡路島女子駅伝競走大会出走後、度重なる故障に悩まされる。2007年に復帰戦として同年7月8日の札幌国際ハーフマラソンに出走(ゴールタイムは1時間14分28秒で30位)。2007年9月のベルリンマラソンでは日本女子トップの5位でゴールした。 しかし右足首の痛みが再発し、2008年8月の北京オリンピックの女子マラソン国内選考会だった、同年1月の大阪国際女子マラソンへの出走を回避。国内最終選考会である同年3月の名古屋国際女子マラソンに強行出場。28Km過ぎの折り返し地点で自らスパートを仕掛ける場面もあったが、32km手前で優勝争いから脱落、結局10位に終わる(同天満屋所属で高校の後輩の中村友梨香が優勝、北京五輪代表入りに)。これにより、坂本の2大会連続の五輪出場は果たせなかった。 2009年8月の北海道マラソンへ約1年半ぶりのフルマラソンに出走(昨2008年の同大会は欠場)したが、レース序盤から優勝争いに加われず13位に留まる。2010年10月のシカゴマラソンでは29位に終わったが、2011年2月の横浜国際女子マラソンでは10位に入った。 2012年8月開催のロンドンオリンピック女子マラソン国内選考会、2012年1月の大阪国際女子マラソンは一般参加選手で出場した。しかし数日前風邪を引いた影響もあってか、15Km過ぎにハイペースの先頭集団から脱落、結果10位と復活はならなかった(同天満屋所属の重友梨佐が優勝、ロンドン五輪代表入りに)。
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