故障離脱とベルト返上
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 04:31 UTC 版)
2006年9月10日の大会で佐々木貴の持つBJWデスマッチヘビー級王座に挑戦。前年とは逆の立場で、同じ会場での対戦となったが、佐々木貴を下し第19代王者となった。しかし試合中にケージとラダーを組み合わせた4メートル近い高所からのドラゴンスプラッシュの失敗により左月状骨周囲脱臼、右橈骨幹部骨折など大怪我を負い即入院。手術は成功したが長期欠場を余儀なくされる。これについて『デスマッチのチャンピオンが興行に出ないのはおかしいし、何よりもデスマッチファイターは怪我をしてはいけないという自分の考えを守り切れなかった。不甲斐無い気持ちでいっぱいです。このベルトを狙うデスマッチファイターには申し訳ないですが自分のわがままで返上させていただきます』との見解を示してベルトの返上を申し出た。 後のインタビューで、ドラゴンスプラッシュの失敗は、ラダーが組み合わされたケージ上部の蓋が踏み切りの瞬間に開いてしまい、バランスを崩して落下したのが原因であったと語った。ケージは組立と解体を容易にするため、完全な固定式ではなく、はめ込み式となっていた。 次期挑戦者候補として葛西純が挙がっていた。前に伊東がベルトを獲得して以降、葛西の名前を常に挙げ続け、当時ZERO-ONEに所属していた葛西がアパッチプロレス軍へ移籍し、大日本へ復帰した理由も、大日本で伊東とのタイトルマッチをやりたいからと公言している。
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