政治運動への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 03:35 UTC 版)
「米軍燃料輸送列車事故」の記事における「政治運動への影響」の解説
1964年にも米軍燃料輸送タンク車は立川駅で事故を起こしており、米軍燃料輸送関連の事故はこれが2度目であった。 米軍の燃料はベトナム戦争に派遣される航空機にも使用されるものであり、在日米軍が日本の市民の安全を危険にさらす形でベトナム戦争の兵站になっているとして、この事故により軍需輸送反対の動きが高まり反対運動が激化した。これにより「米タン(米軍燃料輸送タンク車)阻止」が、ベトナム反戦運動や学生運動のスローガンに加えられることとなった。 この事故を受け、1967年10月19日に国鉄労働組合(国労)は遵法闘争を展開した。さらに翌1968年、反対運動の激化により新宿駅で新宿騒乱事件が発生した。 また、事故を参考にジェット燃料輸送列車を襲撃する事件も発生し、1971年(昭和46年)8月26日には成田線で時限爆弾が、同年10月9日には南武線で発火装置が何者かにより仕掛けられた。 現在も、米軍基地(横田飛行場)への航空機用ジェット燃料の輸送は、浜川崎駅と拝島駅間の武蔵野貨物線経由で行われている。
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