改良和種と和牛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 16:03 UTC 版)
ふつう和牛という場合には、明治時代以降に国外から導入した品種と在来種とを交配して作られた品種を指す。明治政府は欧米から優れた性質の牛を輸入し、それを在来の牛と交配させて増やすことで、日本の牛を改良しようとした。その多くは乳肉兼用の品種で、明治になって生まれた新しい需要に対応させるものである。しかし多くの農家が牛に期待するのは役用で、その観点でははっきりした効果が得られなかった。 1912年から、生まれた牛の性質を見極めて優れた牛を増やしていく、という組織だった品種改良がはじまった。ベースとなったのはその時に各地で飼われていた日本牛だが、既に外国牛の血が相当に入り込んでいたので、純粋な日本在来牛ではない。そこでこれを「改良和種」と名付けた。改良の目標は役肉両用である。成果が上がって集団としてまとまった性質が見えるようになった1944年に、黒毛和種、褐毛和種、無角和種の3品種に区別し、総称して「和牛」と呼んだ。1957年に日本短角種が追加され、4品種からなる和牛が成立した。 品種改良の過程では、純粋な在来牛を残そうという考えはなかった。日本の牛は外国品種との交雑種になり、純粋な在来種は偶然的な事情で2つの島に生き残った。山口県萩市の見島牛、鹿児島県十島村の口之島牛である。見島牛は国の天然記念物に指定されている。
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