支援元の探求
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/07 16:35 UTC 版)
「カルステン・ボルクグレヴィンク」の記事における「支援元の探求」の解説
次の2年間、ボルクグレヴィンクはヨーロッパとオーストラリアを旅し、その遠征の計画に支援と資金を提供してくれる者を探したが、成果はなかった。合同で計画しようとした相手の一人がウィリアム・スペアズ・ブルースであり、独自の南極遠征計画を持っていた。その合同計画は、ヘンリク・ブルとの関係を切っていたボルクグレヴィンクが、ブルースはブルと話をしていると知ったときに、潰れた。「それ故に我々は共同事業を行えない」とブルースに手紙を書いた。また王立地理学会が1893年以来、独自に南極丹家計画を温めていたことが分かった。その会長であるクレメンツ・マーカム卿の影響力の下で、この計画は科学的な探検であるだけでなく、イギリス海軍が以前に極圏探検で持っていた栄光を取り戻そうとするものでもあった。この計画はスコット大佐の指揮下に国営南極探検に発展することとなり、ボルクグレヴィンクの質素な提案よりも学識者の興味を惹きつけていたのがこの計画だった。マーカムは自分の計画から財政的な支援を奪うような民間事業に激しく反対しており、ボルクグレヴィンクは実際的な支援を得られる見込みがないことを理解した。「南極と言う巨岩を転がさねばならないのは、険しい丘に上がることである」と記していた。
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