採用と就役
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 01:10 UTC 版)
日本海軍は、1940年(昭和15年)にそれまでの民間航空会社を合併させて誕生した国策航空会社である大日本航空に、当時日本の委任統治領であった南洋諸島へ、九七式飛行艇を用いた定期航空便を開設するよう持ちかけていた。 当時日本では南洋諸島並びに東南アジアへの進出が課題となっており、進出時の拠点の整備にも、また既に南太平洋にパンアメリカン航空のマーチン M130チャイナ・クリッパーなどの豪華飛行艇が就航しており、これに対抗した航空路線を開設してアメリカを牽制する意図があった。 1939年(昭和14年)には大日本航空内に飛行艇を運用する海洋部が設立され、4月から横浜(横浜港) - サイパン島 - パラオ(コロール)への定期郵便・貨物便が開設された。これは、事実上の実習期間であり、操縦士や乗組員に対して海軍の教官が指導に当たった。1941年(昭和16年)1月には、18機 の九七式輸送飛行艇が川西式四発飛行艇の名で 採用された。 大日本航空では4月から横浜(根岸飛行場)を基点に、サイパン - コロール-トラック島 - ポナペ島 - ヤルートへの南洋諸島定期便を開設した。このほか、横浜 - 淡水 - サイゴン - バンコクへの国際路線と淡水 - パラオ間の路線も試験運航されたが、定期便開設には至らなかった。
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