投稿から連載開始まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/18 08:02 UTC 版)
大学在学中の1975年、『ああ勉強一直線』が『週刊少年ジャンプ』第3回赤塚賞に最終選考で残り、結局落選したが、編集部から載せたいという電話がありデビューを果たす。しかし中学時代から漫画家一直線だったとはいえ、ペンの勉強を全くしておらず、デビュー同期で親友の秋本治は「絶対左手で描いていると思った」と語っている。小林を見つけたのはジャンプ編集部の中野和雄で、『一直線』にも脇役で時々登場している。 同作の読切も2作目・3作目と掲載される中、1976年に第11回手塚賞佳作(『獣村より』)および第4回赤塚賞佳作(『男のトラ子 女の虎造』)が同時受賞。これらの実績を見て、『週刊少年ジャンプ』を400万部に押し上げた功労者の西村繁男副編集長(当時は実質的に編集長)が福岡までやって来て、連載の話を持ちかけた。実は西村は簡単に10週打ち切りになると思っていたが、個性・才能・将来性があれば、どんなヘタウマでも採用するのが、当時から続くジャンプの方針だった。そして『一直線』を連載開始する。
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