批准議論に与えた影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/19 08:13 UTC 版)
「ザ・フェデラリスト」の記事における「批准議論に与えた影響」の解説
『ザ・フェデラリスト』は特にニューヨーク州における憲法批准のために書かれた。その使命が果たされたかどうかは疑問である。各州で様々な批准の過程があり、ニューヨーク州以外でこれらの論文が確実に再発行されたわけではなかったからである。さらに論文が掲載される間に多くの重要州が批准を完了した。例えばペンシルベニア州は1787年12月12日に批准を終えた。ニューヨーク州が批准したのは1788年7月26日になってからのことだった。確かに『ザ・フェデラリスト』は他のどこよりもニューヨーク州で重要だったが、ファートワングラーは「批准論争の中で他の主要勢力に対抗できたとは思えない」と主張している。特に対抗する勢力には著名な連邦党員例えばハミルトンやジェイがおり、反連邦党としてはニューヨーク州知事ジョージ・クリントンがいた。また、ニューヨーク州が憲法を批准したときまでに、新政府が樹立されており、10番目の批准州であるバージニア州がニューヨーク州の批准に圧力を掛けた。この事実を踏まえて、ファートワングラーは「ニューヨーク州が拒否すれば奇妙なアウトサイダーになったことだろう」と述べた。 6月25日批准会議でやっと憲法を批准したバージニア州については、ハミルトンがマディソンに宛てて『ザ・フェデラリスト』の集約版をバージニア州に送ったと手紙で報せた。ファートワングラーは、「バージニア州の会議で討論者のハンドブック」として機能したと見ている。ただしこの間接的な影響力が「怪しげな性質の物」だったろうとも主張している。何れにしてもバージニア州での議論でおそらく大きく重要だったことは憲法案をジョージ・ワシントンが支持していることであり、基準のための会議における議論にマディソンや知事のエドムンド・ランドルフが出席していることだった。 『ザ・フェデラリスト』が機能すると想定された別の目的は批准会議で討論者のハンドブックとしてであり、実際にニューヨーク州とバージニア州の会議では憲法を擁護する者達がまさしくその目的でこの論文を使った。
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