戦争と広島工業港の造成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/11 21:51 UTC 版)
「江波 (広島市)」の記事における「戦争と広島工業港の造成」の解説
1940年以降、「広島工業港建設」の一環として江波山南側の海面が埋め立てられ、漁業養殖業者の多くは生産縮小や廃業を余儀なくされた。とくに打撃を受けたのは、カキとともに、江波の産業であった「海苔」である。海苔養殖場は埋め立てにより、多くが失われた。 1943年、広島市江波町南側の造成埋立地に「広島工業港建設」計画によって建設されていた、三菱重工広島造船所江波工場が操業を開始。この造船所の通勤輸送力を強化を目的に軍の要請により、1943年12月広島電鉄江波線が土橋電停から舟入本町電停まで複線で開通した。 その後、1944年6月に舟入本町電停~舟入南町電停が単線で開通し、1945年江波線全線が複線化された。江波線については広島電鉄江波線を参照。 そのほか町内には江波陸軍射的場や広島陸軍病院などが設置された。
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