慰霊碑赤ペンキ事件とは? わかりやすく解説

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慰霊碑赤ペンキ事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 00:17 UTC 版)

無言館」の記事における「慰霊碑赤ペンキ事件」の解説

2004年 (平成16年) の春に無言館入り口前に記憶パレット」という名で、戦没画学生の慰霊碑作られた。「記憶パレット」は名前の通りパレット形状をした慰霊碑で、重量23トン黒御影石で作られている。この慰霊碑無言館と同様、全国から約1000人の篤志家による寄付金賄われた。 この慰霊碑には、戦没画学489名の名前が刻まれているが、うち約3分の1無縁仏で、親族不明であるだけでなく遺作確認されておらず、卒業者名簿戦没者名簿に名前が確認されているのみである。日本国内では大きさのある質の高い黒御影石の入手困難だったことから中国山西省華北地区の石が使われることになり、「記憶パレットの上部に掘られた「授業風景」の部分中国国内篆刻された。残りの、画学生の名前の篆刻日本国内行われた2005年 (平成17年) 6月18日、この「記憶パレット」に何者かが赤ペンキぶちまけるという事件が発生した中央部の約3分の1わたってペンキかけられただけでなく、ペンキ何種類かの塗料薬剤混ぜて粘着性高めペンキ落ちくいよう意図的に作られていたという悪質なのだった当然のこととして、犯行には何らかの政治的な意図があることが疑われ遺族たちは非常に怒ったが、結局犯人はつかまらなかった。館主窪島誠一郎遺族関係者反対押し切って、赤ペンキ一部そのまま残すことにしたため、現在でもその痕跡を見ることが出来る。無言館顧問野見山暁治館主の窪島よりも更に強硬で、事件があった事実を残すために、赤ペンキを完全に残すように主張したが、結局折れて、窪島に従った

※この「慰霊碑赤ペンキ事件」の解説は、「無言館」の解説の一部です。
「慰霊碑赤ペンキ事件」を含む「無言館」の記事については、「無言館」の概要を参照ください。

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