慰霊・顕彰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 17:32 UTC 版)
1932年に日本人犠牲者追悼碑「霧社事件殉難殉職者之墓」が設置されたが、日本との国交断絶に激昂した外省人によって1972年に破壊された。 日本統治終了後の1953年、防空壕建設が行われた際に旧駐在所霧社分室の跡地から30数体の白骨死体が発見された。霧社事件当時の当事者回想録では、この死体は日本側の呼びかけに応じて投降した蜂起部族が処刑されたものだとされており、国民政府は「無名英雄之墓」に遺骨を合葬した。これが契機の1つとなり、「霧社山胞抗日起義紀念碑」が設立された。1973年にモーナ・ルダオの遺骨が台湾大学の標本室から戻され、国民政府は「無名英雄之墓」の後方に「莫那魯道烈士之墓」を造り、そこへ遺骨を納めた。 1997年には統一企業が500万台湾ドルを投じてモーナ・ルダオ像と蜂起に立った人々の群像を寄贈し、現在では写真撮影のスポットとなっている。
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