愛人と庶子達
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/23 05:23 UTC 版)
「アウグスト2世 (ポーランド王)」の記事における「愛人と庶子達」の解説
アウグスト2世の妻クリスティーネは敬虔なプロテスタントとして、夫に従ってカトリックに改宗するのを拒み、夫と一緒にポーランドに行くこともなく、エルベ川沿いのプレッツシュ城で孤独な生涯を送った。アウグストは名うての女たらしで、妻の不在を寂しく思うことは1度も無く、その時々に寵愛を受ける愛人達と過ごしていた。ブランデンブルク=バイロイト辺境伯夫人ヴィルヘルミーネなど同時代人達の証言によれば、アウグストは365人から382人ほどの子供の父親だった。アウグストが認知した庶子はわずか8人だけだった。 1694年-1696年 - マリア・アウローラ・フォン・ケーニヒスマルク伯爵夫人アルマン・モーリス(ハーマン・モーリッツ)・ド・サックス伯爵(1696年 - 1750年) 1696年-1699年 - アンナ・アロイジア・マクシミリアーネ・フォン・ランベルク、エスターレ伯爵夫人 1698年-1704年 - ウルズラ・カタリーナ・フォン・アルテンボックム、テシェン女侯ヨハン・ゲオルク、シュヴァリエ・ド・サックス(1704年 - 1774年) 1701年-1706年 - トルコ人女奴隷ファティマ、マリア・アウローラ・フォン・シュピーゲルと改名フリードリヒ・アウグスト・ルトフスキ伯爵(1702年 - 1764年) マリア・アンナ・カタリーナ・ルトフスカ伯爵夫人(1706年 - 1746年以後) 1704年-1713年 - アンナ・コンスタンティア・フォン・ブロックドルフ、コーゼル伯爵夫人アウグスタ・コンスタンティア・フォン・コーゼル伯爵夫人(1708年 - 1728年) フリーデリケ・アレクサンドリーネ・フォン・コーゼル伯爵夫人(1709年 - 1784年) フリードリヒ・アウグスト・フォン・コーゼル伯爵(1712年 - 1770年) 1706年-1707年 - ヘンリエッテ・レナールアンナ・カロリーナ・オジェルスカ伯爵夫人(1707年 - 1769年) 1708年 - アンジェリク・デュパル、フランス人ダンサー・女優 1713年-1719年 - マリアンナ・デーンホフ、ルボミルスカ公爵夫人 1719年-1720年 - エルトムーテ・ゾフィー・フォン・ディースカウ、ロス伯爵夫人 1720年-1722年 - ヘンリエッテ・フォン・オスターハウゼン、ゼーグート=スタニスワフスカ伯爵夫人 時期不明 - フリーデリケ、黒人女性
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