意匠制定と昭和天皇とは? わかりやすく解説

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意匠制定と昭和天皇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 15:08 UTC 版)

文化勲章」の記事における「意匠制定と昭和天皇」の解説

東京朝日新聞記者長く宮内省記者会に所属した井原頼明は、自著皇室事典』(冨山房勲章制定の翌1938年昭和13年)に初版)で、昭和天皇意向意匠桜花から橘花変更されたことを伝聞として、なぜ橘花なのかを自説として紹介している。 なほ文化勲章圖案はもと櫻花配する曲玉意匠であつたが、「は昔から武を表はす意味によく用ゐられてゐるから、文の方面勲績を賞旌するには橘を用ゐたらどうか」との意味畏き思召を拜し恐懼した當局では更に案を練って工夫凝らし橘花曲玉配した意義深い圖案制定されたと承る。 — 井原頼明『皇室事典 増補版』冨山房1979年昭和54年)、233古來我が國では尊重され愛好せられ、桓武天皇平安京遷都遊ばされてからは紫宸殿南庭に用ゐられて右近橘稱せられ、左近櫻と共に併稱せられて今日に及び、萬葉集にも數多く詠ぜられてゐるところである。垂仁天皇常世國橘を求められことよりして、永劫悠久の意味有してゐるものであり、その悠久永遠性文化永久性を表現するのに最も適するものとの聖慮拜察される。 — 井原頼明『皇室事典 増補版』冨山房1979年昭和54年)。2331976年昭和51年8月23日那須御用邸における天皇記者との懇談の際、天皇はこの件について質問受けた天皇意匠制定関与したことを否定せず、「の方は常緑樹でもあるし、『古事記』にも出てくるし、文化と言うのは生命長くなければならない、と感じたからです」とその意図説明した

※この「意匠制定と昭和天皇」の解説は、「文化勲章」の解説の一部です。
「意匠制定と昭和天皇」を含む「文化勲章」の記事については、「文化勲章」の概要を参照ください。

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