悲しめる乙女の像
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 01:01 UTC 版)
町内に『悲しめる乙女の像』が建立されるきっかけとなったのが、1953年(昭和28年)7月20日の午前8時頃に発生した、伊勢小屋沢の蛇抜けである。連日の雨で多くの川が増水するなか、伊勢小屋沢上流の国有林地帯が崩壊して沢筋を洗い流し、多量の土砂は中学校や教員住宅にも流入し、登校途中の生徒は無事であったものの、避難途中だった中学校校長の妻と子供2人、計3人が犠牲となった。3人の犠牲を悼み、この災害を後世に伝え、このような惨事が再び起こらないよう念願して、学校の職員やPTA、教育委員会から15人が「じゃぬけの碑設立委員会」を組織し、学校関係者からの寄付金約38万円と自治体からの助成金20万円を碑の建設費用に充てた。完成した像の除幕式は、1960年(昭和35年)8月21日に執り行われた。
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