悪なれば色悪よけれ老の春
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虚子七十八歳、このころ虚子は「老の春」のフレーズを多用しているが、この句はなかなかの味わいがある。前書きに「一月七日 悪の利く人利かぬ人などと杞陽の申し来れるに」とある。季語は「春」であるが春季ではなく新年の「初春」。 「色悪」(いろあく)とは、歌舞伎の役柄で文字どおり色男の悪人で、見るからに二枚目だが爽やではない。冷酷、残忍、無情な悪党でか弱い女性をいたぶるのが得意。という。東海道四谷怪談の民谷伊右衛門、法懸松成田利剣の与右衛門、桜姫東文章の釣鐘権助などという。四代目鶴屋南北の作に多い。 この句は虚子老の願望ではあろうが、冷静に考えると意味的には好ましいものではない。まあ軽く悪と春の対比として「どうだ」と見栄を張っているのだろう。その意味では老を楽しんでいるようで逆手の俳句として面白い。 ところで晩年になっても虚子は相変わらず、文法には無頓着で、ここは「悪ならば」と未然形にするところ。「悪なれば」では、悪だったのでとなるので、「よけれ」という願望には繫がらない。虚子は名句も多いが駄作も多い。この色悪の前にも 斯の如く俳句を閲し老の春 世に四五歩常に遅れて老の春 とはいへど涙もろしや老の春 起き出でゝあら何ともなや老の春 下手謡稽古休まず老の春 などなど年尾・立子選「七百五十句」にも無残な句が並んでいる。 |
評 者 |
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備 考 |
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