急死・最期の別れ
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2006年3月22日、案内所で勤務中に脳幹出血で倒れ、同年4月1日、死去。49歳没。誕生日の5日前であった。最後の言葉は倒れる前に従業員に言った「頭が痛い。救急車を呼んで欲しい」であった。風俗案内所での仕事はほとんど休みがなく、その多忙ぶりが脳内出血の遠因と言われている。 奇しくも死去当日は相方である紳助が司会を務めるオールスター感謝祭の生放送の日であった。紳助は「舞台を10回やったら僕は8回手を抜くのに、竜助は10回とも一生懸命やっていた」「戦友だった」「彼がいたからここまでやれた」等と感謝の意を述べた。倒れた翌日に見舞いに行った際は、竜助の手を握ったまま涙を流したという。 通夜には、そのような場に滅多に参列しない明石家さんまが参列していた。その2日後の4月3日、大阪市北区長柄西の大阪北玉泉院で行われた葬儀・告別式には、かつて所属していた吉本興業の関係者や所属芸人、ファンなど約500人が弔問に訪れた(紳助は仕事により参列していない)。弔辞はB&Bの島田洋七が読み上げた。出棺の際、西川のりおは「竜助! これがお前の最後の舞台やぞ! お前のためにいっぱい来てはるで!」と絶叫しながら泣き崩れた。霊柩車のクラクションが鳴った際、竜助が眠る棺を担いだ西川きよし、B&B(島田洋七、島田洋八)、ぼんちおさむ、のりお・よしお(西川のりお、上方よしお)、オール巨人、大平サブローが霊柩車の前に整列して「竜助!」と見送った。のりおが「竜助ー!!」と22回絶叫した。竜助が眠る棺は大阪市立北斎場で荼毘に付された。
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