急勾配専用機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 04:52 UTC 版)
ベルリンで在外研究していた鳥安次郎技師が、ドイツの山岳線でE形タンクが重用されている状況を視察しての進言により、試みに輸入したのが4100形であった。 一般線区の勾配率は最大25%を標準規格としていたが、奥羽線福島~米沢間と肥薩線人吉~吉松間は険峻な 地形のため33%の急勾配で、開業時より機関車の選定に苦心していた奥羽線は9200形とB6形の うやく150tしか牽引できない状況で増強の改善が要請されていた。4100形の功績は単機で従来の列車を牽引でき、燃料消費率も優れ、空転も少ないなど期待に あった。5動輪ながら、第1と第5動輪に横動をあたえ、第3動輪をブランジレスにて急曲線通過に支障なく、過熱式の採用ともあいまって好成績を収めたのであった。 好成績の4100形を基に、9600形と同様にボイラー嵩上(中心線高さ2.28から2,563mm)により広火室として出力を強化し、水槽容量を増加するなどの改善を図って 1914年より国産したのが4110形で、奥羽線と肥薩線に投入され、輸送改善に貢献し、亀の子の愛称で耐用年数一杯に戦後まで重用された。
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