忠守-忠元流 水野家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 14:39 UTC 版)
監物忠元を祖とする家。代々監物を名乗り帝鑑間に詰めた。領地は、下総山川より駿河田中、三河吉田、同岡崎、肥前唐津、遠江浜松と要地を転々としている。長崎警護の役目がある唐津藩時代を除いて幕府の要職に付くことが多かった。享保の改革で徳川吉宗を補佐した和泉守忠之や天保の改革を主導した越前守忠邦ら、著名な老中も輩出している。忠邦以降、改革失敗の責任をとらされて出羽山形に転封となる。明治後には近江朝日山藩に転封。子爵。 なお、初代忠元が大名となったことを記念して、領地ではないが許可を得て、11代忠邦までの墓所が山川(茨城県結城市)につくられている。 監物忠元 - 下総山川藩主(3万5,000石)、西丸書院番頭 監物忠善 - 下総山川藩主→駿河田中藩主(4万5,000石)→三河吉田藩主→三河岡崎藩主(5万石)、西丸書院番頭 右衛門大夫忠春 - 三河岡崎藩主、奏者番兼寺社奉行 豊前守忠盈 - 三河岡崎藩主 和泉守忠之 - 三河岡崎藩主(5万石→6万石)、老中 監物忠輝 - 三河岡崎藩主 監物忠辰 - 三河岡崎藩主 和泉守忠任 - 三河岡崎藩主→肥前唐津藩主(6万石) 左近将監忠鼎 - 肥前唐津藩主、奏者番 和泉守忠光 - 肥前唐津藩主、 越前守忠邦 - 肥前唐津藩主→遠江浜松藩主(7万石)→羽前山形藩主(5万石)、老中 和泉守忠精 - 羽前山形藩主、老中 和泉守忠弘 - 羽前山形藩主→近江朝日山藩主
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