忍海漢人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/05 07:44 UTC 版)
忍海漢人(おしみのあやひと)とは大和時代に朝鮮半島から渡ってきた渡来人集団漢人(あやひと)の一つ[1]。鍛冶技術に秀でていた。
- ^ 『日本書紀』神功皇后摂政五年三月条「のち新羅に詣りて、蹈鞴津に次りて草羅城を抜きて還る。この時の俘人等は、今の桑原、佐糜、高宮、忍海、凡て四の邑の漢人等が始祖なり。」
- ^ a b c d e f 舘野和己 『史料に見える葛城の漢人と金属技術者たち』奈良女子大学21世紀COEプログラム〈ヤマトの開発史〉、2007年、31頁。
- ^ 『日本書紀』「次于蹈鞴津、拔草羅城還之。是時俘人等、今桑原・佐糜・高宮・忍海、凡四邑漢人等之始祖也。」
- ^ ブリタニカ国際大百科事典『阿知使主』 - コトバンク
- ^ 『肥前国風土記』「漢部郷 昔者来目皇子為征伐新羅忍海漢人勅将釆居此村令造兵器 将来居此村」
- ^ 福永酔剣 『日本刀大百科事典 第二巻』雄山閣、1993年、51頁。ISBN 4-639-01202-0。
- ^ 『続日本紀』文武天皇2年12月5日条
- ^ 『続日本紀』大宝元年8月7日条
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