忍法帖エッセイ
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忍法と剣のふるさと 1963 「週刊現代」1963年3月28日号 - 伊賀・甲賀・柳生の紀行文だが、内容は辛辣で批判的なコメントが多い。 忍法小説はなぜうけるか 1964 「サンケイ新聞」1964年2月3日 - サルトルの「何も足さない、何も引かない」をはじめ、「機械文明への反発」「天下は泰平なり」などと忍法帖の流行について分析。 首斬り浅右衛門 1964 「アサヒグラフ」1964年2月14日号 - 延宝年間に書かれた忍術書「万川(まんせん)集海」に記載のある忍者の紹介。 「今昔物語集」の忍者 1964 「漫画サンデー」1964年2月26日号 - 「忍法帖を書き始めたきっかけが『水滸伝』だった」など、「忍法帖シリーズ」の裏話を作者が語るエッセイ。 「甲子夜話」の忍者 1964 「オール読物」1964年3月号 - 肥前平戸の藩主、松浦静山(まつうら せいざん)が著した「甲子夜話(かつしやわ)」に登場する忍者について語る。 TV忍法帖 1964 「女性自身」1964年9月7日号 - テレビで活躍する植木等らの魅力を、「忍法」に例えた異色エッセイ。 忍法金メダル作戦 1971 - 円谷幸吉など五輪選手を忍者とし、高速道路の早期建設も「日本国による忍法」であると言及。
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