復讐と逃亡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 05:51 UTC 版)
カルミネが出征してから一家の趨勢は18歳の妹ロジーナの手に委ねられることになるが、彼女はやがてペッピーノ・カルリなる地元有力者からしつこく言い寄られるようになった。ロジーナにその気はなく、彼女の頑な拒否に耐えかねたペッピーノはついに彼女を殴り、行く先々で彼女の悪口を言うようになる。親類に助けを求めたロジーナであったが、この事件はカルミニネの知るところとなり、激高したカルミネは妹の不名誉を挽回する決意をする。 当時ドン・ペッピーノは夕方にクラブで賭博に興じる習慣があり、カルミネはこれを知って彼の家で帰りを待ち伏せた。帰宅したドン・ペッピーノを見つけると、カルミネは妹に対する仕打ちをなじり、「mascalzone(悪党め!)」と口汚く罵った。逆上したドン・ペッピーノがカルミネを殴ると、カルミネはナイフを取り出し彼を刺し殺してしまった。人殺しとなったカルミネは軍役を放棄し逃亡する。隠れ家となったのはフォレンツァの森の中。そこは法を犯した者たちが逃げ込む場所であった。 後にクロッコの手下となって「イタリア統一軍(サヴォイア軍)」に反旗を翻すことになる他の山賊たち、すなわち、ジュゼッペ・スンマ(別名ニンコナンコ)、ヴィンチェンツォ・マストロナルディ(別名スタッコーネ)らがクロッコに出会うのはこの時期である。彼らは武装して山賊団を形成し、強盗や誘拐を行って生き延びていた。カルミネは郷里リオネーロには秘密裏にたびたび戻っていたが、ある日この町で逮捕される。禁固19年の断罪のもと1855年10月13日ブリンディジ監獄へ送られる。しかし、1859年12月13日脱獄に成功。モンティッキオの森に潜伏した。
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