復興事業の完成と終了
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 06:13 UTC 版)
「震災復興再開発事業」の記事における「復興事業の完成と終了」の解説
1930年8月、帝都復興事業に携わった者を表彰するために制定された帝都復興記念章(左:表面、右:裏面)。ただし、後藤新平は制定前に死去したため、その授与対象には入らなかった。 帝都復興院および復興局が推進した帝都復興事業は1929年ころには完成の域に達しつつあり、同年10月19日から11月10日にかけては東京市政調査会の主催により復興状況を説明した「帝都復興展覧会」が落成したての市政会館にて開催され、11万超の入場者を集めた。続く1930年3月24日には昭和天皇が東京市街を巡幸し、同月26日には二重橋前広場で「帝都復興祭」が挙行された。復興祭では、臨席した天皇より「帝都復興完成に就き賜はりたる勅語」が発せられたが、復興事業の計画を最初に練り上げた後藤自身は、1929年4月13日に遊説先へ向かう途中で死去しており、その完成を見ることはなかった。 「帝都復興祭」より6日後の4月1日に復興局は廃止されて業務は復興事務局へ引き継がれ、その2年後の1932年4月1日に同局も廃止されたことで帝都復興事業は名実ともに終了した。
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