従来の説の否定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 14:44 UTC 版)
しかし、ハトシェプストが、自分に恨みを持っているはずのトトメス3世が軍隊を支配することを許可したのはなぜなのか、という疑問が起こり、「恨みによる行動」説は近年では否定されている。軍を統制している者は容易にクーデターを起こすことができるので、もし両者が反目しあっていた場合、当然ハトシェプストはトトメス3世に軍の統帥権を持たせなかったはず、ということである。 この見解は、トトメス3世が王権を主張したことを示す有力な証拠が見つからなかったという事実によって裏付けられている。彼は確かに、ハトシェプストが宗教的および行政的に指導者であることを肯定していたのだ。これに加えて、ハトシェプストの記念碑は、トトメス3世の治世の後半、彼女の死後少なくとも25年まで損傷を受けなかったという事実がある。また、トトメス3世の遺体安置所はハトシェプストのすぐ隣に建てられているという事実がある。これはトトメス3世が彼女に恨みを抱いた場合には起こりえない。 しかし、最近の像などの再調査を行った研究によると、日付が確認できるものから判断すると、トトメス3世の治世の46年または47年のある時期にのみ、抹消行為は行われたようだ(紀元前1433または1432年頃)。単に、ハトシェプストとトトメス3世の両方に仕えた、強大な権力を持った宗教および行政官僚が死ぬまでこの措置を講じることができなかった可能性もある。 しかし、もう1つの見過ごされがちな事実は、この抹消行為を受けたのはハトシェプストだけではなかったということである。彼女の支配体制と密接に関係していた宰相Senenmutの記念碑は、同様に抹消されていた事実がある。これらの証拠から考えると、トトメス3世が彼の王位継承直後に、ハトシェプストに対する積年の恨みを晴らすために破壊を命じたという従来の説は重大な誤りを含むように考えられる。よって、最近では「女王の前例を残さないため」という説が有力である。
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