後藤浩輝とシゲルスダチ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 02:35 UTC 版)
「シゲルスダチ」の記事における「後藤浩輝とシゲルスダチ」の解説
後藤が初めてシゲルスダチに騎乗した2012年4月1日のマーガレットステークスでは、彼が7番人気から同馬を優勝に導いた。その後、続けて彼を鞍上にG1・NHKマイルカップに挑戦するも、上の項目で記述したようにゴール直前で斜行の影響を受け転倒。後藤を落馬させてしまう。 大抵の場合、多くの馬はほかの馬を追って空馬の状態で走っていってしまう。しかし、シゲルスダチはその場から離れず、落馬した後藤に寄り添うような仕草を見せた。この事が競馬ファンの話題を呼び、同馬の知名度は一気に上昇した。 その後、翌年の奥多摩ステークスで再び後藤とタッグを組むも9着に敗れる。2014年に入ると4月に後藤が再び落馬により故障したこともあり、シゲルスダチに騎乗してレースに出ることはなかったが、半年後の10月に調教騎乗で同馬に再び騎乗。しかし、これが最後のシゲルスダチの後藤の騎乗となる。 11月9日の奥多摩ステークスでは、武士沢友治を鞍上に出走したが、先の項目で述べたように12着入線後に予後不良となる。この奥多摩ステークスは昨年、シゲルスダチの鞍上に後藤浩輝が騎乗した最後のレースでもあった。後藤はラジオ解説のためスタンドから同レースを見ており、その後シゲルスダチの最期を見守ることができたという。また後藤は自身のFacebookでもシゲルスダチの死と彼への感謝のコメントを残している。なお、シゲルスダチの死から約3ヶ月後の2015年2月26日、後藤は自ら命を絶ちこの世を去った。 なお、2014年12月4日の有馬記念のファン投票の第二中間発表では、既に死亡しているにも関わらず740票を集め100位にランクインした。 また、2015年にJRAの機関広報誌である優駿での企画「未来に語り継ぎたい名馬」では、投票結果上位100頭の中でワンアンドオンリー、ゼンノロブロイらを抑え重賞未勝利馬として唯一ランクイン(95位)した。
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