後半生から晩年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/12 14:38 UTC 版)
1912年(大正元年)には東京音楽学校における邦楽調査掛の委嘱となり、教員検定や小学校での唱歌の作曲、教科書の編纂委員になる等、後年も音楽に関する業務に携わった。1917年(大正6年)に宮内省付属の楽部楽長に就任し、1920年(大正9年)には正倉院に所蔵されている琵琶等の古楽器の調査や研究に携わる。後に上記の号を名乗り、『万朝報』の撰者となる等、漢詩人として多くの作品を執筆および投詩し、書家としても活動した。
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