後半戦―アテナイの敗北
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/09 00:29 UTC 版)
「第一次ペロポネソス戦争」の記事における「後半戦―アテナイの敗北」の解説
エジプトでの反乱に対するアテナイの協力に対し、当初ペルシア王はアッティカ侵攻を説くためにメガバソスに資金を持たせてスパルタに送ったが失敗し、メガバソスはアジアに呼び戻された。そして、メガビュゾスが大軍と共にエジプトに送られた。陸路でエジプトに着くや否やメガビュゾスはエジプトとその同盟軍を破り、アテナイとその同盟軍からメンフィスを奪回し、彼らが篭ったプロソピティス島を1年6ヶ月の包囲戦の末落とした(紀元前454年)。アテナイとその同盟軍はほぼ全滅し、わずかな人数だけがキュレネに逃れた。イナロスは捕えられ、磔に処された。この事件はアテナイのエーゲ海支配を大いに揺るがし、その後数年間アテナイはデロス同盟の再編と勢力下にある地域の安定化に腐心した。 その一方テッサリアから追放されたテッサリア王オレステスがアテナイに自身の復位を求め、それを容れたアテナイはボイオティア軍と共にファルサロスに侵攻したが、何一つ目的を果たせずに引き上げた。この後ペガイからペリクレス率いる艦隊が出航してシキュオン人を破ったが、アカイア人と共にアカルナニアに侵攻したが、落とせずに帰った。 その3年後の紀元前451年にアテナイ、ペロポネソス両陣営の間で5年間の休戦条約が結ばれた。
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