往時の堂塔とは? わかりやすく解説

往時の堂塔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 09:25 UTC 版)

平等院」の記事における「往時の堂塔」の解説

かつての平等院には数多く堂塔建ち並んでいた。以下の建物はすべて失われた本堂金堂) - 宇治川近く現在の観音堂がある場所にあった講堂 釣殿つりどの) - 宇治川突出した形で設けられていて、川から直接舟をつけることができた。釣殿本堂は廊で結ばれていた。 懴法堂せんぼうどう) - 本堂の南にあった懺法/懴法とは、経を誦し罪過懺悔する儀式作法をいう。 小御所こごしょ) - 東を向いている鳳凰堂のさらに東、池を挟んだ対岸にあった小御所天皇上皇のための殿舎法華堂 - 天喜4年1056年)、藤原頼通によって建立され法華堂正確な位置未詳多宝塔 - 解説既述五大堂 - 治暦2年1066年)、右大臣藤原師実頼通三男)によって建立され五大堂正確な位置未詳不動堂 - 延久5年1073年)、右大臣源師房頼通養子)によって建立され不動堂記録によれば境内西南にあった経蔵 - 宝蔵ともいう。初出(※最初の記録)は康平6年1063年)に認められる一切経のみならず藤原氏代々重宝納められ、「宇治経蔵」として摂家権威象徴とされていた。正確な位置未詳

※この「往時の堂塔」の解説は、「平等院」の解説の一部です。
「往時の堂塔」を含む「平等院」の記事については、「平等院」の概要を参照ください。

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