彩虹芸術公園の設立経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 10:01 UTC 版)
彩虹眷村は台中市南屯区の春安里(中国語版)の成功嶺(中国語版)軍営と嶺東科技大学の間、馬祖二村・台貿五村・干城六村(中国語版)の付近にある。彩虹眷村は馬祖二村に隣接しているがそれらの眷村と異なり、公営の眷村ではない。彩虹眷村は国防部や農田水利会(中国語版)、私人の所有地の上に建てられている。早期は9名の老兵が6棟の家屋を自己建築した。棟ごとに形状も異なり、権利関係も複雑である。壁画アートの作者、彩虹爺爺こと黄永阜は軍退役後養老院に入居する予定だったが考えを改め、1979年に現在の彩虹村の一角の家屋を買い取った。後に都市再開発で3つの眷村は道路用地として撤去される計画が浮上する。 2008年8月に黄は突如自宅付近の家屋にペイントを施すようになった。2010年に嶺東科技大学や弘光科技大学の教授や学生たちが、あどけなさに満ちて、可愛さや溌溂とした子供の表情が描かれた壁画アートに価値を見出したことで、蔡克斯という学生が台中市政府に眷村を文化資産として保存するよう申請。「搶救彩虹村(彩虹村救助活動)」としてムーブメントが拡大した。 同年9月に当時の台中市長胡志強や、市文化局局長などの関連組織での討議を経て、当該建築物は文化資産としての認定基準には満たないものの、所有者の同意の元で「彩虹芸術公園」として保存されることになった。保存部分は元は公園と老木、製作者の永阜が壁画アートを施した6棟の建物群を包括している。 黄夫婦の作画用住居のみが残され、眷村は2014年1月25日に芸術公園としてオープンした。
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