強羅の開発と自動車事業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 02:22 UTC 版)
「箱根登山鉄道」の記事における「強羅の開発と自動車事業」の解説
開園当初の強羅公園 創業当初の富士屋自働車 登山電車の建設を進める一方、鉄道以外の事業にも着手した。 小田原電気鉄道では1911年に強羅の土地を取得、これを旅館や別荘地に適するように造成して販売を行った。続いて、登山鉄道やケーブルカーの敷設計画と並行する強羅地区の総合開発の一環として、先に分譲した地区の中央部に公園を開設することになり、1914年に強羅公園として開設した。さらに、強羅に旅館「一福」を建設、1921年から営業を開始した。 一方、1913年3月1日からは貸自動車業の営業を開始した。これは、1912年に箱根自動車が貸自動車業の営業を開始したことがきっかけとなったもので、5台の自動車によって事業を開始した。ところが、この貸自動車業に関連するトラブルが同年夏に発生したのを機に、富士屋ホテルの取締役の山口正造も1914年から富士屋自働車を設立して貸自動車業に参入してきた。しかし、当時の小田原電気鉄道は登山鉄道の建設に注力していたため、この時点では富士屋自働車との競合はあまり問題にならなかった。これらの貸自動車業は、運行当初は人力車夫や駕籠かきから反発を買い、路上にガラス片をまかれたり投石されたこともあった。 そのような状況下、富士屋自働車では1915年8月には国府津駅と箱根地区を結ぶ乗合自動車の、1917年6月には小田原と熱海を結ぶ乗合自動車の運行許可を得て、乗合自動車の運行準備を進めていた。
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