強制執行と国有化の請願
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 14:50 UTC 版)
鉄道は開通したが、建設費は資本金を上回り、資金調達を借入金に依存することになった。しかし、借入金の増加は膨大な利子の支払いをもたらし、営業成績を悪化させていくことになったのである。こうした中で1924年に140万円の返済が不可能になり、債権者の広島信託社から強制執行を受け信託側は鉄道の管理を芸備鉄道にまかせた。この責任を取り熊谷は社長を退任し、防石鉄道は競売にかけられる事態となった。この事態に三田尻の株主達は広島信託社と折衝をつづけた結果、ようやく競売は取り消されることになった。 また一部の株主は国に救済を求めるべく防石鉄道の買収を画策し鉄道大臣並びに貴衆両院議長に請願書を提出した。そして買収案は帝国議会衆議院で取り上げられることになった。買収の理由を既に開通している山口線では山口 - 篠目間の急勾配により最大急行の運転は不可能である。しかし急勾配も隧道も架橋も少ない防石鉄道を買収し両端の区間を延長し徳佐 - 堀 - 三田尻 - 中ノ関港とすれば九州大分からの貨客を山陰地方へ輸送でき経済発展に寄与できるとしたそれに対し鉄道省では山口線と並行している路線を緊急に買収する必要は認められないと返答しついに救済買収はかなわなかった。
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