弟・直三
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:26 UTC 版)
幼稚舎から大学予科まで慶應義塾で学ぶ。学生時代から飲酒・夜遊びと不良行為が絶えず留学させられる。アメリカでマサチューセッツ工科大学、イギリスでケンブリッジ大学に入学するがどちらもすぐに退学し、競馬や女遊びに耽溺。6年後、義兄の実吉敏郎に連れ戻される。帰国後、伯爵副島道正の娘・順子(のぶこ)と結婚。文部省社会教育課で教育映画製作の仕事に就く。直温亡き後は相続を巡って直哉たちと反目、以後放蕩の限りを尽くし、奈良に引っ越した実母・浩の家や直哉の家にも高利貸しや暴力団が押し掛けることとなる。昭和8年、直三は詐欺罪で2年3ヶ月に渡る収監となり、出所前に浩が死去。その後直三は華道・慈草流の家元、茶道・宗徧流では志賀幽荃を名乗り、風雅の世界に生きる。自伝『阿保傳』(新制社、1958年)を出版している。
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