弟・蘆花とは? わかりやすく解説

弟・蘆花

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 05:09 UTC 版)

徳富蘇峰」の記事における「弟・蘆花」の解説

小説不如帰』で知られる5歳年下の弟・徳冨蘆花は、1903年明治36年)に兄への「告別の辞」を発表して絶交何かにつけて兄に反発していたが、大逆事件では幸徳秋水らの減刑について兄に取りなし頼んでいる。この件は失敗終わり蘆花はその直後第一高等学校で「謀叛論」と題する有名な講演をおこなっている。これ以後兄弟長いあいだ疎遠な状態がつづいた1927年昭和2年)、蘆花群馬県伊香保病床就いた際に再会する蘇峰が「おまえは日本一の弟だ」と話しかけると、蘆花は「兄貴こそ日本一だ。どうかいままでのことは水に流してくれ」と泣きながら訴えており、周囲の人に深い感動あたえている。臨終の席で蘆花は兄に「後のことは頼む」と言い残して亡くなったといわれる

※この「弟・蘆花」の解説は、「徳富蘇峰」の解説の一部です。
「弟・蘆花」を含む「徳富蘇峰」の記事については、「徳富蘇峰」の概要を参照ください。

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