弟・蘆花
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小説『不如帰』で知られる5歳年下の弟・徳冨蘆花は、1903年(明治36年)に兄への「告別の辞」を発表して絶交。何かにつけて兄に反発していたが、大逆事件では幸徳秋水らの減刑について兄に取りなしを頼んでいる。この件は失敗に終わり、蘆花はその直後第一高等学校で「謀叛論」と題する有名な講演をおこなっている。これ以後、兄弟は長いあいだ疎遠な状態がつづいた。 1927年(昭和2年)、蘆花が群馬県伊香保で病床に就いた際に再会する。蘇峰が「おまえは日本一の弟だ」と話しかけると、蘆花は「兄貴こそ日本一だ。どうかいままでのことは水に流してくれ」と泣きながら訴えており、周囲の人に深い感動をあたえている。臨終の席で蘆花は兄に「後のことは頼む」と言い残して亡くなったといわれる。
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