引退・定年制
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調教師は肉体労働というよりもマネージメント業であるため、騎手とは異なり高齢になっても仕事を行うことは難しくない。 しかし、中央競馬では総馬房数が限られているにもかかわらず高齢の調教師が引退しないために世代交代がうまく進まず、調教師試験の合格率が5%前後にまで落ち込むなど旧来の制度の弊害が顕著に表れた。そのため、日本調教師会の提案により1989年2月28日から調教師の70歳定年制が導入された。ただし当時は70歳を超える調教師が多数であったため1999年までは経過期間とされ、要件どおりの制度運用が開始されたのは2000年以降である。この制度により、稲葉幸夫、二本柳俊夫、大久保房松といった数多くのベテラン調教師が勇退した。 地方競馬では定年制の有無は所属場毎に異なっている。一例を挙げると大井競馬では定年制(72歳)が導入されている。その一方で川崎競馬では定年制が無く、八木正雄(1917年2月23日 - 2009年11月24日)は、92歳で亡くなるまでの73年間(騎手兼業時代も含む)、現役の調教師として活躍した。 厩舍経営の厳しい現在では、所属馬の成績不振や馬主・競走馬の確保難による収入減によって厩舍運営が立ち行かなくなる事も見られ、実態としては経営破綻に等しい形で調教師免許を返上し、事実上の廃業を余儀なくされるケースも見られる。この場合、定年よりも前の段階で自ら調教師免許を返上し勇退する。過去には理由として「健康面の都合」と公表されていたことがある。なお、JRAでは65歳を迎えた調教師が引退または勇退した場合、慰労金が支給される。一方で1996年3月に開業したものの、13年後の2009年2月に56歳で勇退した岩城博俊は、他厩舎の調教助手として引き続き競馬界に携わっている。 また、引退・勇退ではなく、不祥事を原因とする調教師免許取消の事例もJRAでは過去に4例発生している。
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