山田広二とは? わかりやすく解説

山田広二

(広二山田 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/16 05:12 UTC 版)

山田 広二
基本情報
国籍 日本
出身地 愛知県大府市
生年月日 (1972-11-20) 1972年11月20日(52歳)
身長
体重
189 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 内野手外野手
プロ入り 1994年 ドラフト3位
初出場 1997年9月7日
最終出場 1997年10月6日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

山田 広二(やまだ こうじ、1972年11月20日 - )は、愛知県大府市出身の元プロ野球選手内野手[1]

来歴・人物

大府市立大府中学校から弥富高校を経て、社会人野球トヨタ自動車に入団した[1]。中学時代は三塁手だったが、入学後に当時の野球部監督から強肩を見込まれ、投手転向した[2]。その後、高校3年生だった1990年春の愛知大会では身長186 cmの体格から最高球速140 km/h速球を投げる好投手として、チームを準々決勝にまで導いた[2]。しかし6月末の練習中、捕手の二塁への送球を右のこめかみに当てて8日間入院し、投げ込みができなかったことが響き、チームは同年夏の愛知大会では西尾高校に4回戦で敗退した[2]。その後、社会人になって内野手に転向した[1]

1994年11月18日に開催されたプロ野球ドラフト会議中日ドラゴンズから3位指名を受け[1]、同年12月2日に契約金6000万円、年俸840万円で入団に合意した[3]。大柄な体格と、粗削りながら長打力を秘めた打撃を買われての入団であり[1]、中日は紀田彰一の交渉権獲得に失敗した場合の外れ1位候補としても検討していたが、最終的には本人が中日以外の球団に入団する意思はないと見て、当初の予定通り3位で指名した[4]。本人は入団当初、それぞれチームの主力打者であった大豊泰昭立浪和義を足して2で割ったような選手になりたいと語っていた[5]

内野ならどこでも守れる器用さを持ち、強肩を活かして外野を守った事もある。

1996年にはチームに山田姓の選手が4人も在籍していた(他には山田和利山田喜久夫、ドラフト同期の山田洋)。その直前にイチローが大活躍し、変わった登録名が流行っていたこともあり登録名を「広二山田」に変更するが、1年で元に戻している。和利はこの年限りで引退、同時に喜久夫(キク山田)と洋(ヒロ山田)もそれぞれ本名に戻した。

二軍では結果を残すものの、プロ1年目の1995年串間春季キャンプで右手首を骨折[6]。さらに1997年にも左手首を骨折し、入団4年目の1998年は一軍昇格なしに終わり、同年オフに自由契約となった[7]。その後はナゴヤ球場のグラウンド整備係をしながら復帰を目指し[7]2000年1月19日に選手として年俸750万円で再契約を結んだ[8]。しかし同年限りで再び戦力外通告を受け、同年限りで現役を引退した[9]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1997 中日 19 39 39 2 6 2 0 1 11 8 1 0 0 0 0 0 0 10 0 .154 .154 .282 .436
通算:1年 19 39 39 2 6 2 0 1 11 8 1 0 0 0 0 0 0 10 0 .154 .154 .282 .436

記録

背番号

  • 56 (1995年)
  • 52 (1996年 - 1998年)
  • 96 (2000年)

登録名

  • 山田 広二(やまだ こうじ、1995年、1997年 - 1998年、2000年)
  • 広二山田(こうじやまだ、1996年)

関連項目

外部リンク

  1. ^ a b c d e 中日新聞』1994年11月18日夕刊社会面15頁「ドラフト中日1位 147キロの右腕、金森(立命大) 2、3位 地元の山田コンビ」(中日新聞社
  2. ^ a b c 『中日新聞』1990年7月26日朝刊県内総合版17頁「【愛知県】球児の詩/ 弥富のエース山田広二君 プロ注目の逸材に“苦い夏” 実力の半分も出せず姿消す」(中日新聞社)
  3. ^ 『中日新聞』1994年12月3日朝刊運動1面23頁「中日3位 山田広が内定」(中日新聞社)
  4. ^ 『中日新聞』1994年11月18日朝刊運動2面26頁「中日編成会議 紀田1位を確認 指名は横浜との競合か」(中日新聞社)
  5. ^ 『中日新聞』1994年12月16日朝刊運動1面23頁「若竜6人衆いざ 夢へ飛躍誓う ルーキー入団発表 即戦力の期待 高木監督 「チャンスある」」(中日新聞社)
  6. ^ 『中日新聞』1995年2月21日朝刊運動1面25頁「プロ野球短信 【中日】山田広が右手首骨折」(中日新聞社)
  7. ^ a b 『中日新聞』1998年10月14日朝刊運動1面25頁「プロ野球短信【中日】山田広二は自由契約」(中日新聞社)
  8. ^ 『中日新聞』2000年1月20日朝刊運動1面23頁「プロ野球短信 19日【中日】曹投手の背番号18」(中日新聞社)
  9. ^ 『中日新聞』2000年10月10日夕刊運動1面9頁「プロ野球記録メモ 9日【中日】4人に戦力外通告」(中日新聞社)




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