幽霊の姿かたち、現れる場所、時刻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 07:06 UTC 版)
「幽霊」の記事における「幽霊の姿かたち、現れる場所、時刻」の解説
日本では幽霊は古くは生前の姿で現れることになっていた。歌謡などの中でそうされていた。江戸時代ごろになると、納棺時の死人の姿で出現したことにされ、額には三角の白紙の額烏帽子(ぬかえぼし)を着け、白装束をまとっているとされることが多くなった(■右の画像を参照)。 元禄年間(1688-1704年間)に刊行された『お伽はなし』では、幽霊はみな二本足があることになっていた。しかし、享保17年(1732年)刊行の『太平百物語』では、幽霊の腰から下が細く描かれている。享保年間(1716-36年間)のうちに下半身を朦朧とした姿で描くようになっており、さらに時代を経ると肘を曲げつつ手先を力なく垂れる姿で描くようになってゆく。こうように、江戸時代前期から中期を迎えるまでの間に、今日定型化されている日本の幽霊の造形(ステレオタイプ)が形成されていったと考えられる。もっとも、大田南畝が編纂した横井也有の俳文集『鶉衣』(天明7-8年〈1787-88年〉刊行)に「腰から下のあるものもないものもある」と書かれていることから窺えるように、江戸時代後期に差し掛かってもまだ完全には定着しきっていなかったと思われる。 また、日本の幽霊は、墓地や川べりの柳の木の下などといった場所に現れるとすることが多く、丑三つ時(午前2時ごろ)といった特定の時刻に出現するともいわれている。古くは物の怪の類は真夜中ではなく、日暮れ時(逢魔時、昼と夜の境界)によく現れ、場所も町はずれの辻(町と荒野の境界)など「境界」を意味する領域で現れるとされていたが、江戸時代を通じて現代にまで及ぶステレオタイプが形成されたと思われる。
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